副葬品の年代ズレと「再構築された支配」
前方後円墳に見る支配の痕跡 -付加構築仮説による再解釈-
【副葬品の年代ズレと「再構築された支配」】
前方後円墳の構造が“付加”によって成立したという仮説は、墳丘そのものだけでなく、出土する副葬品の年代にも反映されている可能性がある。 実際、いくつかの前方後円墳では、墳丘の規模や築造様式に比して、副葬品の年代がやや後代に偏っている例がある。 これは、墳丘が最初に築かれた時点とは異なる時期に、副葬品の追加や更新が行われたことを示唆しており、 墳墓の再利用、あるいは“再構築された支配”の表象と捉えることができる。
このような年代のズレは、単なる副葬のタイミングの違いではなく、**政治的な“再編集”**としての意味合いを持ちうる。 たとえば、既存の円墳に後方部を加え、あたかも最初から前方後円墳であったかのように再構成した上で、 新たな首長や支配者が自らの副葬品を加える──その過程そのものが、支配の上書き=物語の再編成と言える。
こうした現象は、墳墓が単なる埋葬施設ではなく、**「誰がその地を支配していたか」を示す“物語の容器”**であったことを物語る。 そして副葬品の年代ズレは、その容器が一度きりの記憶ではなく、複数の権力者によって“再利用・再構築”された痕跡として浮かび上がってくる。
→ 今後の展望・結論