仮説の概要・考察
前方後円墳に見る支配の痕跡 -付加構築仮説による再解釈-
【仮説の概要】
本稿で提示する「付加構築仮説」は、前方後円墳という墳墓のかたちが、既存の方墳や円墳に対して後から構造的要素を“足す”ことで成立した可能性を提起するものである。 従来の中央計画的墳墓論においては、前方後円墳はヤマト王権による統一的な意志のもとで築かれた完成形とみなされてきた。 しかし、実際の遺構には、左右非対称・不自然な接合・前方部と後円部の段差など、設計段階からの統一性を疑わせる要素が多く見られる。
付加構築仮説では、これらの“不整合”をむしろ支配の痕跡ととらえる。 すなわち、中央政権が既存の墳墓を“征服”または“取り込み”の対象とし、その上に自身の象徴的形態(前方部または後円部)を加えたことで、 かたちとしての前方後円墳が成立したのではないかという視点である。 この仮説は、墳墓が静的な完成物ではなく、政治的動態の中で“編集”されうる構造であるという新たな認識を促す。
【考察】
付加構築仮説を裏付ける鍵は、現存する前方後円墳の構造的特徴に見られる“歪み”や“非対称性”にある。多くの前方後円墳において、前方部と後円部の接合部が不自然であったり、左右の幅・高さが明らかに均衡を欠いていたりする事例が確認されている。これらは、単なる施工ミスや地形的制約では説明しきれない場合があり、むしろ意図的な「付加」の痕跡と読み解くことができる。
たとえば、後円部が円墳として独立していた可能性のある遺構に、明らかに後から追加されたと見られる短小な前方部が付属している事例や、周濠の位置・形状が本来の円墳の重心をずらすように配置されているケースなどが挙げられる。これらは、形式美としての完成ではなく、むしろ“侵食”や“接ぎ木”のようなプロセスを感じさせる。
さらに、墳丘の断面においても、前方部と後円部で盛土の技法や層の積み方に違いが見られる事例があり、これは構築時期の差異を示唆するものである。こうした構造的な不整合は、むしろ“支配の過程”が墳丘という物質に刻まれた結果と捉えることができ、支配権の継承・塗り替えが建築的に可視化されたものと見ることができる。
加えて、築造方位(向き)にも注目する必要がある。
円墳・方墳では、同一地域内で築造方位が比較的そろう事例が多い一方、前方後円墳では必ずしも一貫性が保たれていない場合がある。この「向きの不統一」は、地形条件や既存の地割に由来する単純な制約とも考えられるが、意図的な変更であれば、支配層の交代や被葬者の代替わりといった政治的・儀礼的変化を反映している可能性がある。同一古墳群内で方位が揃わない例は、視覚的支配の演出や既存権威への挑戦の一環として捉えることもでき、付加構築仮説を補強する要素となるだろう。
このように、前方後円墳の造形上のゆがみは、単なる建築的誤差ではなく、支配の構造そのものが表出した痕跡であり、「完璧な統一性」よりも、「編集中の痕跡」を読む視点が求められる。