まほろばのかたち
はじめに
ここで、私はひとつの 「不思議な“かたち”」 についての仮説を、
恥ずかしながら発表させていただきたいと思います。
私は歴史マニアでもなければ、アマチュア考古学者でもありません。
専門の研究者でもなく、誰かに師事して学んでいるわけでもありません。
ただ、どうしてもこの疑問が頭から離れないのです。
「誰が、それを“かたち”にしたのか?」
「それは、誰のために“選ばれた”のか?」
そんな問いが、日々の暮らしのなかで静かに湧き上がってきました。
この仮説が、間違っていると指摘されることを、私はむしろ望んでいるのかもしれません。
そうして誰かの声に触れたとき、また新たな “揺らぎ” が生まれる気がしています。
主張したいわけではありません。
ただ、こう問いたいだけなのです。
── あなたは、どう思いますか?
なぜ、わたしは“問い”から始めたのか
── つたない論文ですが、その外にある、もうひとつの動機
この国には、数えきれないほどの“かたち”が眠っています。
その多くは、語られるよりも前に、すでに「正しさ」の中に組み込まれてしまっている。
「そういうものだから」
「昔からそうだった」
「みんながそう言っているから」
でも、本当にそうなのでしょうか?
ある日、ふと湧いてきた疑問──
「どうして、これが“選ばれた”んだろう?」
それが、すべての始まりでした。
“正しさ”ではなく、“不思議さ”から始めてみたい。
“主張”ではなく、“問い”から始めてみたい。
そんな想いが、今回のつたない論文につながっています。
この仮説がもし間違っていたとしても、それでいい。
けれど、誰かの心のどこかに、小さな“揺らぎ”を届けられたなら──
それこそが、わたしの本当の目的なのかもしれません。
いろはじゅん
前方後円墳に見る支配の痕跡 -付加構築仮説による再解釈-
(2025.08.03)著者:いろはじゅん
→【要旨】・【序論】